建立の年代については文献等がなく定かではありませんが、その様式や構造手法から本殿(重要文化財)と同じく室町時代末期の造立と考えられます。中世にさかのぼる拝殿は県下に例がなく、しかも本殿とセットになって保存されている大変意義深い建築物です。
端正な面貌、流麗な衣文は平安時代中期の貫禄を示しています。もともと酒見、少彦名神社の本地仏であったものですが、神仏分離により寺院に移されたもので、平安時代の富来地域における信仰をうかがい知ることができます。
大福寺、高爪神社で祀られていたもので、胎内には不鮮明ながら承元2年(1208年)2月の銘があります。これは県内に現存する造像銘で最古のもので、本地仏である木版彩画六所宮懸仏(重要文化財)と同じく、高爪山信仰をうかがう上で重要な文化財です。
福浦の港は天然の良港として古くから歴史に登場し、律令時代から渤海国との交流により名をとどめています。この福浦の灯台は、慶長13年(1608年)港の高台に日野資信という人が篝火を炊いたことに始まり、その後、小さな篝火堂を建て代々日野家がまもってきた日本最古の木造灯台として有名です。
富来川左岸の岩壁の中腹に、7つの墳墓窟が掘られ、中には仏塔や板碑が造立、安置されています。このような墳墓窟は通称「やぐら」と呼ばれ主に武士の墓として中世の鎌倉地方に盛行したもので、他の地方にはあまり例のないものです。
ドリーネとは、石灰質層において雨水、地下水の溶食などによりできたろうと状の穴で、通称スリバチ穴、オチコミ穴とも呼ばれます。
関野鼻ドリーネ群は海蝕洞窟に連なる地下の亀裂などを中心に進行した溶食作用によるドリーネです。石川県はもとより日本海側ではこのような典型的なドリーネはほかに見られず大変貴重な資料となっています。
松尾神社の本地仏である薬師如来の懸仏が鋳銅のもの一面、銅板打出のもの4面が残されています。鋳銅の懸仏は南北朝時代の特徴を残しています。また、銅板打出の懸仏のうちの1面には永禄2年(1559年)の銘があり、ほか3面の懸仏もその様式から同一年代のものと推定されます。
松尾神社本殿の造立年代をうかがう上で注目すべき文化財です。
御物石器とは中部地方と一部畿内の限られた地域から発見される縄文時代の石器です。明治時代に見つかった同様の石器が、明治天皇に献上され、天皇の所有品(=御物)になったことにちなんで名付けられました。
この御物石器は今田の少彦名神社に奉納されていたものですが、その発見された場所など来歴は定かではありません。
笹波の藤懸神社の社叢は容々たる古木、巨木で構成され岬の丘陵を覆うその様は大変荘厳で、外浦を航行する船からの遠望も素晴らしいものです。
また、第1層から林床に至るまで原生林の様相を豊かに保有し、学術的な価値も極めて高い社叢です。
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