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志賀町の概要

 

位置と地勢

 私たちのまちは、能登半島中央部に位置し、東西12.7q、南北31.0qと南北に細長く、西側は日本海に面し、北は輪島市や穴水町に、東は眉丈山系に連なる丘陵地帯で七尾市や中能登町に、南は羽咋市に接しています。

 まちは、車では金沢から能登有料道路経由で北へ約1時間、公共交通機関では、JR羽咋駅からバスで約30分、能登空港からは、車で約40分の位置にあります。
面積は、246.55平方キロメートルで、まちの土地は、林野が65.9%を占め、経営耕地が10.3%、宅地が3.1%、その他が20.7%となっています。

 まちは豊かな自然に恵まれ、奇岩・怪石や白砂青松の海岸線は、能登半島国定公園の一部で、能登金剛と称され、源義経の伝説とともに能登を代表する美しい景勝地となっています。また、まちの中央部のなだらかな丘陵地には、リゾートホテル、ゴルフ場、別荘地を有する志賀の郷リゾートなど多様な観光資源を抱えています。

歴史と文化

 私たちのまちは、古くから人々が住みついており、縄文時代や弥生時代、古墳時代の遺跡が多くあります。
 奈良・平安時代には、大陸の渤海国(現在のロシア、中国、北朝鮮あたり)との交流があり、藩政期には、福浦港は北前船の西廻り航路の寄港地として栄え、遊女が愛しい船員との別れを惜しみ、腰巻をかけて時化(荒天)を願ったと伝わる腰巻地蔵や日本最古の木造灯台である旧福浦灯台が今も残っています。

 また、かつての福野潟は於古川の運ぶ土砂で埋め立てられて美田の広がる福野平野へと変わり、河口の海岸部は天然の良港を擁し、若狭の国(福井県)の高浜町から漁師が住み着いたことから、高浜町という地名となりました。

 まちの文化遺産としては、室町時代に建立された松尾神社本殿などが国指定の重要文化財となっているほか、夏から秋にかけては、町内のいたるところで祭りが行われるシーズンとなり、堀松の綱引き祭り、数十基のキリコ(奉灯)が繰り出す八朔祭礼、県内で最も古い歴史を持つ太鼓打競技大会などの伝統行事や獅子舞、太鼓が伝承されています。

旧福浦灯台

人口と世帯数

 私たちのまちは、人口減少傾向にあり、平成17年の国勢調査では、23,790人となっています。世帯数は、核家族化の進行とともに微増傾向にあり、7,901世帯、一世帯あたり3.01人となっています。

 年齢別の人口推移は、少子高齢化の加速に伴い、常に0〜14歳は減少、65歳以上は増加し、平成17年国勢調査による高齢化率は31.1%で、超高齢化社会となっています。

産業

 私たちのまちは、古くから農林漁業が基幹産業であり、平成17年の第一次産業人口割合は12.4%と石川県全体(3.9%)と比較して高い割合を示していますが、年々減少傾向にあります。

 特産品としては、農業では、コシヒカリなどの稲作のほか、ころ柿(干し柿)、赤土スイカ、葉タバコなどがあり、漁業では、甘エビのカゴ漁、ズワイガニ漁、巻網漁、底引網漁、刺網漁定置網のほか、サバやハマチの畜養(中間育成)も行われており、2箇所の道の駅(ころ柿の里しか、とぎ海街道)などでの農林水産物直売や町の実験農場での体験農園(ジャガイモオーナー、リンゴオーナー)なども行っています。

 工業は、かつて繊維工業が主力でしたが、現在は能登中核工業団地への企業誘致などにより、電気機械や精密機械を中心に出荷額を伸ばし、第二次産業人口も増加して、平成17年は35.3%と、石川県全体(29.7%)より高くなっています。

 また、まちの中央の海岸部に志賀原子力発電所(原子炉2基)が立地しているのが特徴といえます。
  商業は、国道249号沿道に郊外型商業施設が進出し、かつての中心市街地の商店街は空洞化が進んでいますが、まち全体の年間商品販売額は横這いとなっています。

 まちの主要産業のひとつでもある観光は、能登観光の主要拠点である能登金剛や志賀の郷リゾート、世界一長いベンチ、キャンプ場や海水浴場など多様な観光資源を有し、体験・滞在型の観光を目指しています。

志賀の郷(いこいの村能登半島)